IT記者会講演再録

IT記者会Reportに掲載したインタビューと講演再録です

中島秀之氏【中】

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Web2.0とネットワークの向こう側

 ところでWeb2.0の話ですが、梅田さんは〈ネットワークの向こう側〉に着目した。それはそれで優れた着眼だと思うんですが、もう一回こちら側に戻ってくることが必要ではないか。それを3.0と呼ぶかどうかは別として、インターネットは物理層に過ぎない。

 函館にいて東京にいるのと同じように本を買えるのはアマゾンのお陰ですが、グーグルの検索で出てくるのは向こう側にあるWebページの羅列でしかない。向こう側がそのまま表示されていて、利用者のために加工されていないから、1,000件あったら1,000件全部を見ないと全体は分からない。ここで処理を加えて、全体の要約などができないか。

 Webの今日的な定義は、「いま・ここで・わたしに」がキーワードじゃないかと思うんですね。航空機でも携帯電話でも、そのスパンが10年か3年か、長短はあるんだけれど〈作る・使う・作り直す〉ということを繰り返すわけです。今後のWebの進化は、個々の人が必要とするIT環境を自分で作り、自分で直すことができるようになるかもしれない。

 

トンネルを抜けると雪国であった

 いまのマッシュアップ技術が進化したスタイルとして、自分に必要なシステムを自分で作り、自分で直すこと、つまりネットワークの向こう側をもう一度、こちら側に持ってくることが起こる。 自分はどこにいるのか  そこでシステムを作るとき、自分はどこにいるのか、ということを考えてみたいと思います。

 国境の長いトンネルを抜けると雪国であった。

 川端康成さんの『雪国』の第一文です。日本人ならみんな知っているといっていいくらい、有名な小説です。この第一文をサイデンステッカーという人が英語に訳したのが次の文です。

 The train came out of the long tunnel into the snow country.

 これを再度、日本語に直すと「列車は長いトンネルを出て、雪国へ入っていった」となる。日本語の場合は自分が列車に乗っている。英語だと鳥の視点になる。英語でも日本語のように表現できないわけではないけれど、サイデンステッカーさんの英訳は鳥の視点だった。

 川端康成さんの文章は、自分がその中にいる、英訳は外にいる。これを科学と工学の話に置き換えると、科学者は外にいて観察する。工学者は中にいる。ということで、工学の視点は非常に日本的なんだということが分かります。

 〈川端康成「雪国」の視点〉 f:id:itkisyakai:20180304210715p:plain

 〈サイデン・ステッカー版英訳の視点〉

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 2000年に産業総合研究所が発足したとき、「サイバーアシスト研究所」というのができました。実はあのとき、わたしは「ユビキタスコンピューティング研究センター」というような名前にしたかったのだけれど、当時の小泉さんがよく理解できなかったので見送られた(笑)。その後、総務省が使うようになったんで「ユビキタス」という言葉が普及したわけですが、この「ユビキタス」というのは〈神はどこにでもいる〉という意味で、西洋的には一神教。

 ところが日本は八百万(やおよろず)の神なんですね。木にも花にもそれぞれ違う神がいる。これからのユビキタス・コンピューティングを考えると、シングルユースではあり得ない。本命なのはどうもこっちじゃないか。ユビキタスは日本型だと思ってます。

 NTTを悪く言うつもりは全くないんですが(笑)、〈いつでも・どこでも〉インターネットにつながることがユビキタスではない。ユビキタスというのは、これまで専用の部屋に置かれていたコンピュータが利用者の手許に出てきて、情報処理が人間の行動や状況をシェアする。その手段がインターネットであって、それを使って何をするか、それが重要なんですね。

簡・健・良・絆

 で、実はここまでは前段でして(笑)、ここからが本題なんですが、情報技術が人と人を分断するようだと、これはちょっと困る。最近、「指恋愛」という言葉があるそうです。携帯電話でメールを送りあって恋愛をする(笑)。遠距離恋愛ならともかく、喫茶店で向かい合っていながら、メールをやり取りするようなのは、どう考えたってオカシイ(笑)。これは技術の問題じゃなくて、システムのデザインの課題じゃないか。

 わたしはIT社会は、「簡・健・良・絆」がポイントだと思っています。簡単・便利、健康・安心、より良い商品・サービス、そして絆・人と人の和。味の素という会社がこの4文字で自社製品をアピールしているのを知って、以来それを使わせてもらっています。

 パソコン、携帯電話、インターネットが普及して、〈いつでも・どこでも〉仕事ができるというのは、便利かもしれないけれど、経済原理だけでいくと、長時間労働が日常化することでもある。情報の開示とプライバシーの保護というように、ITの進歩もしくはIT社会というのは、常にそのような矛盾した問題を含んでいる。

 情報処理技術は社会の構造を思いもしなかったかたちに変えていくわけですけど、そういうことを踏まえて考えていかなければならない。先ほども言いましたが、コンピュータ化、情報化はこれまで人がやっていたことをコンピュータに置き換えるだけで、これからの社会を変えていくには応用技術なんですね。それと社会制度や法律をどのようにバランスさせるかという社会学が必要になる。

 ついでなので話しますと、社会学者の多くは、現在の社会を観察し、分析するんだけれど、将来の社会をデザインする仕事をあまりやっていない。そういう方がいたら、わたしはトコトン話し合いたいと思ってます。

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群れの意思決定を支援

 もう一つ、現在の情報技術っていうと、どうしても〈個人にとっての利便性〉ということになるのだけれど、人のかたまり、群れの意思決定を支援するということを、我われはもっと追求していい。動的資源割当というシミュレーションの話ですけど、社会のリソースの効率を上げることができる。

 ちゃんと有効に機能しているかどうかは疑わしいとしても、現在の国会は代議員制なんだけれど(笑)、その意思決定をインターネットでやることだって可能になる。代議員制度というのは、これまでは国会にすべての有権者を収容できないという物理的な制約があったからにほかならない。ですが、インターネットで総ての国民に意見を聞くことができる時代になった。それだと衆愚政治になるという意見があるけれど、それは情報技術とは別の話です。

 で、情報技術が社会の仕組みを変える、新しい時代を創るということを、産総研で取り組んだ実証実験の事例などを紹介しながら考えてみたいと思います。