IT記者会講演再録

IT記者会Reportに掲載したインタビューと講演再録です

清水吉男氏が遺した「ペアXDDP」の本意 ~派生開発カンファレンス2018から~(1)

記事として公開しないと決めた理由(わけ)

 爽やかな青空が広がった5月18日(金)、横浜開港記念会館(横浜市中区本町)で開かれた派生開発カンファレンス2018。最後を締めたのは基調対談「清水代表を偲ぶ~ペアXDDPに込めた清水代表の思いに迫る~」だった。

 派生開発の方法論「XDDP(eXtreme Derivative Development Process)」の提唱者・実践者・伝道者で、派生開発推進協議会(AFFORDD)代表の清水吉男氏が昨年11月22日に急逝(享年68)したことを受けたもので、今後の協議会の姿や派生開発手法の展開を占う意味で、その内容が耳目を集めた。

 論文発表、10分の休憩のあと登壇したのは、清水氏と長年の親交がある芝本秀徳(プロセスデザインエージェント)、渡辺博之(エクスモーション)、梶本和博(同)、古畑慶次(デンソー技研センター)の4氏。プレゼンテーション用の大きな画面をはさんで、向かって左側に古畑氏(進行役)、芝本氏、右側に渡辺氏、梶本氏が座る。

 筆者は当初、対談の最初から最後まで本サイトに掲載するつもりでいた。記事にすることを前提に、事務方に録音の了解も得ていた。ところが登壇者が語る「清水さんの思い出」の中段あたりで「こりゃぁ公開できないな」と考え始めていた。

 記事を通じて清水氏の功績や派生開発手法を広く知らせることにやぶさかではないが、結果として登壇した4氏のプライベートな出来事まで公開することになってしまう。「どうしたものか……」と思案した挙句、録音の文字起こしはするけれど、記事としてはフルスペックでは公開しないことに決めた。清水氏と登壇4氏、それに連なる多くの方々の「熱い思い」を貶めるような気がしたのだ。

 決めたのは、録音の文字起こしはするが、記事としては一部の公開に止める。その上で紙ベース(PDF)の「IT記者会Repot」に編集して、AFFORDDの皆さんに共有してもらうことだった。

 などと言っている間に演壇の準備が整ったようだ。

 基調対談の会場に戻るとしよう。               

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基調対談のオープニング:右から梶本和博氏、渡辺博之氏、芝本秀徳氏、古畑慶次氏

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古畑慶次氏

古畑 皆さん、こんにちは。

 ご存知のように、清水吉男さんが昨年11月22日にお亡くなりになって、その病床で「ペアXDDP」という新しい考え方を練っていらした。そのことをご存知の方は少なくないのですが、今日は改めて「ペアXDDP」を紹介し、清水さんを偲びながら、これから我われは何をしていったらいいかということを考えてみたいと思います。

 言うまでもないことですが、清水さんは日本のソフトウェア産業を憂い、ソフトウェア技術を憂い、ソフトウェア技術者を憂いておられました。本日の進め方ですが、最初は私と梶本さんで「ペアXDDPについて」の対談、そのあと芝本さん、渡辺さん、私の順番で追悼講演という予定でいたのですが、急遽それを変更しまして、4人のリレートークということにしました。

 では最初に梶本さん、ベッド(病床)で清水さんがまとめられた資料をベースに「ペアXDDP」をご紹介いただけますか。

「格物致知」と「ペアXDDP」

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梶本和博氏

梶本 梶本です。

 「ペアXDDP」の紹介に入る前に、簡単に清水さんとの出会いからの歩みをお話ししたいと思います。

 私が清水さんと出会ったのは1980年代の半ば、私は長野県のメーカーの設計者でした。清水さんは「ソフトウェアの外注」というかたちで会社にやって来られたんです。実はソフトウェアの品質管理についてコンサルティングするために来られたのですが、私は「どんな方なんだろう」とたいへん興味がありました。

 その後、1990年代ですけれども、私がソフトウェアの品質改善に取り組むようになったとき、清水さんが持っておられる様ざまなコンテンツ、「XDDP」や「USDM」の原型になったものですね、これは使えると思いました。

 それで清水さんにQCDのコンサルティングをお願いしまして、本来でしたら私を通じて社内に清水さんの考え方が流れ込んでいくはずだったのですが、いろいろ障害もありで苦労しました。2000年代に入りまして、今度はCMM(Capability Maturity Model)だというので、また清水さんのお世話になりました。

 そのあと2010年に、先ほども副代表・渡辺さんの話に出ましたけれど派生開発推進協議会が発足し、2011年の秋、上海でXDDPが世界に発信されました。第5回世界ソフトウェア品質会議(WCSQ)でXDD Pが認められたんですね。

 2012年の3月、XDDP、USDM、PFDを派生開発手法の「3点セット」が確立しました。これを広めることで、それでもってソフトウェア技術者の皆さんに勝ち残ってほしいという思いを込めて、それが新潟の勉強会になって、現在につながっています。

 清水さんがいつも口にしていたこと、「ああ、あれか」と多い当たる方が少なくないと思いますが、「格物致知」ですね。「格物致知 誠意正心 修身斉家 治国平天下」、中国の『大学』という書物の言葉ですが、清水さんは「格物」とソフトに置き換えて、「致知」つまりありとあらゆる知識や技術を習得しなさい、研究しなさい。それで全てできる、そのあと人ができないことができるようになる。そういうことを、私も清水さんから繰り返し教えていただきました。

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 で、「ペアXDDP」ですが、これ(壇上背後のプレゼン資料表示)は清水さんが亡くなる直前まで、病床でまとめておられたものでして、私がもっているものとはちょっと違うのですが、表紙から分かるように、今回のカンファレンスのキーノートのために作っておられた資料です。皆さんに清水さんが伝えたかった、本来ならここで講演なさっていたことを、私がどこまでお伝えできるか分かりませんけれども、これから簡単にお話します。

 何がポイントかというと、清水さんは日本のソフトウェア産業の構造的な問題として、プロセスで解決できるのにプロセスをちゃんと作り込んでこなかったこと、現場で活躍していたエンジニアが一定の年齢になると現場から引き離れて管理者になってしまうこと、海外オフショア開発で社内に技術やノウハウが残らないことなどを憂いていました。でも、今ならベテランのエンジニアが残っている。清水さんが着目したのはこの点です。

 清水さんは、ベテランのエンジニアが活躍できる場を作ることが、ソフトウェア開発の現場に活力を生むという考えを持っておられました。その積年の思いが「ペアXDDP」につながったと思います。

 どういうことかというと、派生開発では既存のシステム、ソフトウェアに変更を加えるとき、いきなりソースコードをいじらず、要求仕様書に立ち戻って、そこから変更要求設計書を起こしていく。そうすることで、なぜ変更するのか、何をどのように変更するのか、変更がどこに影響するのか、結果としてエンジニアが自分は何をするのかを理解し、ソフトウェアのトレーサビリティが担保される。

 それは派生開発3点セットで対応できるのですが、レビューの機能がない。でもベテランのエンジニアがいる。若いエンジニアとベテランがペアを組んで、より精度を高めていく。XDDPだけだと、エンジニアの思い込みや誤解を修正できないかもしれません。ベテランがレビューアとなって、アドバイスをしたり一緒に確認したりする。ドライバーとナビゲーターに例えると分かりやすいかもしれません。

 ということで、簡単でしたけれど「ペアXDDP」の紹介はこれくらいにして、バトンタッチしようと思います。

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